全3回に分けて、医療大移転についてアップしております。
最終回となる今回は、これまでの経緯を受けての動きについて、さらには私の考えを併せて記載します。
10月3日、議員協議会(全員協議会)が行われました。
その中で、医療大移転に関する特別委員会の設置について意見交換が行われました。
議員のなかでは、「設置するべき」という意見と、「慎重に」という意見に分かれ、結果として、町部局による、医療大への支援経過を取りまとめ、再度検討することとなりました。
第2回の投稿で、様々な影響について整理しましたが、そのなかで、現時点で私が考えている私見について、本当に簡単ではありますが記しておきます。
①移転後校舎の利活用
当別町全域に見ても、医療大校舎は比較的新しい建物が多い。当然取り壊すよりも、リノベーション等を施して利活用が望ましいと考えます。報道機関等で既出されている想定として、
・他の学術機関
・企業誘致
またひとつの考え方として、役場庁舎の移転というのもできるかもしれません。
当別町では、50年以上経過した庁舎移転について、議論を続けていますが、その計画にも影響が及んでいます。
北海道新聞にも記事が掲載されています(Web版、会員限定記事)
住民サービスにおいて必要な戸籍住民課や税務などは町の中心部に残しながら、直接住民が来訪する用務が少ない部署や、議会などの移転が可能かと考えます。
既設校舎については、紋別市より北広島市へ移転した道都大学(現星槎道都大学)の事例もありますので、当時の状況を調査する必要を感じています。
②公共交通をどうするか
前回のブログで、利用客数の減少によるコミュニティバスやJRの再編が想定されましたが、ルート変更や減便は不可避だと考えます。
特に、JR北海道の「当別―北海道医療大学」間の廃線の可能性も否定できません。
この札沼線ですが、1972年には「新十津川―石狩沼田」間が廃線に。
(実は、札沼線の名前の由来は「札幌―石狩沼田」間から取られた名称です。ご存じでしたか?)
そして2020年には「新十津川―北海道医療大学」間が廃線と、同一路線で2回廃線を経験しています。
もし当別―北海道医療大学間が廃線となると、異例の3回目の部分廃線となります。
わたしの動きとしては、5日に今後の展望について国会議員と懇談を行いました。
今回の問題について、国政の立場から何ができるかを意見交換しております。
「5年」という期間は、非常に短く感じます。企業誘致にしても利活用の方針にしても、様々な準備を同時並行的に行わなければなりません。
この対策は、当然議員ひとりの力では限界があります。町とはもちろん、地域や町内外の企業と議会、そして町民一人ひとりが、ワンチームでこの問題に取り組む必要があると感じています。
商工会をはじめとした町の産業関係者も、「次の一手」を既に思案しているという心強い一言もいただいています。
わたしも議員の諸先輩らとともに、5年後にみなさんが納得する形のまちづくりを進めてまいります。