北海道医療大学(以下、「医療大」)が北広島市のF Villageへの移転が、5年後に決定いたしました。
約50年にわたり、当別町の学府として、町とともに歩んできた医療大学。
今回の移転発表は、当別町全域に大きな影響与えることは、周知の事実と思います。
そこで、
①ここまで、何があったのか(時系列)
②移転の要因整理と、当別町に与える影響
③それを受けての動きと、わたしの思い
それらを3回にわけて、ブログにしていきます。
1回目は、移転を町に伝達された日までの動きを時系列で整理します。
動きを差別化するために、メディアの動きを【メ】、町長等の動きを【町】、議会の動きを【議】と差別化して表記します。
9/22 【メ】北海道新聞インターネット版に、「特報」として、医療大学の北広島市移転が報じられる。同調するように、各TV局が一斉に報道。
9/23 【町】当別町長囲み取材を受け、移転阻止に向けた協議開始。
9/26 【議】議員協議会開催。要望所定移出について報告。
9/26 【町】町、議会、教育委員会、商工会等13団体による要望書を大学に提出
9/27 【メ】医療大理事会開催。北広島市移転を決定。
9/28 【町】医療大より、北広島市への移転を通達。
9/28 医療大、北広島市へ移転を報告。
なお、移転報道に対する要望書、28日の町と医療大との会談の模様を掲載します(当別町HPより)
以上が、報道発表から決定までの時系列となります。
この流れを見て、何を思うでしょうか。
わたしの率直な感想は、
「町が大学と協議をする時間がほとんどなかった」
この1点に尽きると思います。
町長も、記者会見(いわゆる「囲み取材」)にて、「相談してほしかった」「協議する場がほしかった」と話しているとおり、町と大学側との議論の場がほとんどありませんでした。
5月に、エスコンフィールドの会見で「(どことは言えないが)複数の大学とコンタクトを取っている」と話していた大学のひとつが、医療大だったということになります。
このプロセスに対し、どう思うか。様々な意見があると思います。
26日の際に「本来なら事前に移転協議をしていることを伝えたかったが、報道が先行してしまった」と医療大理事長が話しています。
町長も会見時に思いを話していましたが、折衝しているタイミングで大学側からの報告がなかったことが、私にとっても???であるというのが、私の率直な感想です。
次回は、今回の決定を受け、当別町の影響を多角的に整理します。